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ストーンズとサイリウム

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1988年のMick Jagger in Japan Live で販売されたパンフレットで、故中村とうようさんがこんなことを言っている。

「・・・だから、ブラウン管のの中のミックより舞台の上のミックは、さらに何十倍もすごいに違いないと期待するのだ。」

そうね。ブラウン管ね。
隔世の感があるのだが、未だに壊れたら買い替えようと思って結局20年間もブラウン管テレビを使い続けている自分は何も言えないわけだが、まさにそんな期待をこめて参戦してきたStonesのライヴについて書き留めておきたいと思う。といっても後日談であるが。

中村さんのこの寄稿文のタイトルは「動くミックこそ、ほんとうのミック」。
今回のStonesのライヴは、まさにこの言葉を体現したものだったと思う。
若い時には当たり前にできてたことがこの歳になるとできない、そんなことを言っているのはただの凡人に過ぎないことがわかった。声の張りに若干の衰えは感じるものの、24年前と何ら変わりのないパフォーマンスを見せるMickがそこにいた。
中村さんによれば、Mick自身がMick Jaggarという大スターをからかっており、それが彼の精神のフットワークの軽さであり、それがあるからMickは永遠に若い、という。Stonesと言えば反体制の象徴といった捉えられ方をすることもあるが、「反体制的だの反社会的だのという硬直した言葉は、ミックにはふさわしくない。」とのこと。
精神のフットワークの軽さ・・なるほど、自分にもそういうものがあれば、1年半も仕事を休まざるを得ないということにはならなかったのかもしれない。

さて、職場の仲間の何人かに「StonesのLiveに参戦してきたぞ」というと「おぉー」という反応とともに感想を聞かれた。

「どうでしたか?」
「うん、そりゃぁ素晴らしかったよ。」
「やっぱ、盛り上がってましたか?」
「もちろん盛り上がってたよ。まぁでも、24年前と比べるとそうでもなかったかなぁ」
「え?24年前にも行ったんですか?」
「うん、初来日の時にね。」

24年前のチケットは、ただ電話しただけでは入手することができず、結局、それこそ必死の思いで入手した友達が「一緒にいこうぜ!」と3枚も譲ってくれたおかげで行けることになった。「知り合いで行きたがっているやつがいたら分けてもいいよ」という友達の言葉通りに、1枚は自分をStonesの世界に引きずり込んだ兄に、そしてもう1枚はStonesが好きだという女の子の友達に譲りたいと相談したところ、快く承諾してくれた。
Stonesを知っている人はもちろん沢山いるのだが、Stonesを好んで聴いている人は周りを見てもそれほど多くはなかった。そんなものなんだろうな、とよく二人でぶちぶち言っていたが、その日は違った。チケットを持って電車に乗ると、水道橋駅に近づくにつれて革ジャンにジーンズといったような、いかにもその手の人達が増えてくる。水道橋の駅の混みようは酷いものだったが、ここにいる人達全員がStonesのファンなんだと思うと、その中の一人であることが誇らしくもあり、嬉しくもあった。東北弁や関西弁など、いろいろな言葉が聞こえてきた。そりゃ、そうだ。一生お目にかかれないと思っていたわけだし、次来ることがあったとしても「初来日」は1度だけ。全国からファンが集結するのも無理がない。

「へぇ、そんなだったんですね。」
「うん、駅からドームに向かう途中で何歌うのかな、とか、ヨーロッパでやったツアーの内容とか語りながらあれこれ話してるうちに気分が高まるんだよ。だからさ、もう始まった時なんか、”よく来てくれたぁ!”っていう全国のファンの気持ちを全部ぶつけるつもりで最初っから最後まで大合唱だったよ。」

多少美化されている記憶とは思うが、まぁそんな感じだった。とにかく日本で見ることなんかできないと思って、半分あきらめてたコンサートが実現するんだから。

「じゃ、今回もそんな感じだったんですか?」
「いや、違う。もう24年前と今じゃ違うね。もちろん盛り上がったけど、なんかStonesに対する見方が違うみたい。」
「え?どんな風に違うんですか?」
「うん、ちなみにStonesの曲で知ってるの教えてくれない?」
「えーっと、Stonesは知ってるけど曲はあまり知らない。」
「じゃっじゃーん、じゃじゃじゃーん、じゃじゃじゃじゃ、じゃっじゃーん てのは?」
(注)Satisfaction
「あー、知ってます。」
「そうだろ?なんか、会場に来てる人がそんな感じなんだよ。24年前はさ、周りにいる人で座ってる人なんかいなかったし、Mickが煽ったら全力で応えてた。それにStonesの歌にはさ、観客が大合唱になるのがあるんだよ。Liveでどんなふうにアレンジが加わったって、最初の音で何がくるか見当つくから、曲が始まった瞬間”ウォオー”ってなるわけで、出遅れちゃいけないと思って”ウォー”ってやって、なんかおかしいなって周り見たらなんか自分だけなのね。」
「あははははは」
「それで、ようやくMickが歌い始めるころに周りが”ワー”ってなりはじめる。」
「はぁ・・・・」
「なんか、Stonesは知ってても歌える人はいないみたい。」
「そりゃ、Lさんだけですよ。」
「そうなんだなってわかったわけですよ。実際、君が知ってるって言ってたSatisfactionとか、Jumping Jack Flashっていう有名な曲があるんだけど、そういう曲の時には周りのみんなも歌ってたよ。だから結局、歌はあんまり知らないけど来てるってひとが多かったってことだ。そう考えると、アリーナの最前線でサイリウム振ってる人がいたのもわかる気がする。」
「サイリウムですか?」
「そう。Stonesにサイリウムなんて悲しいったらありゃしない。」
「たしかに」
「座ってる人もいたし、サラリーマンでも部長さんクラスのいいスーツ着た人が多かった感じだし、最後かもしれないからこの目に焼き付けて置こうって、そういうつもりだったんじゃないのかな。とはいいつつ、ライヴとして素晴らしかったのは間違いないけどね。」
「Lさんもそのつもりだったんでしょ。」
「そうだね。でも、やっぱStonesは違うよ。確かに年輩の人は多かったけど、じゃあ、その目の前で歌ったり、ギター弾いたりしている人たちは何歳なのよ、ってことでしょ。そう思ったら、座ってなんかいられないね。」
「なるほど。」
「なんてったって、人生の最も多感な時期をともに過ごした音楽だからね。」
「そんなに聴いてたんですか?」
「小学生の時にBeatlesが好きになって、中学生になるとStonesばっかり聴いて、って感じ。高校生になるとZeppelinばっかりとか、大学生になるといろいろ聴くには聴いたけど、結局、Stonesが一番って言ってたくらい。」
「今も好きなんですか?」
「もちろん好きだけど、今一番好きなのはAC/DCだね。」
「・・・知りません。」
「知らんかぁ・・・。まぁ、ほんと、洋楽ばっかり聴いてきたからね。」

その他にも、ステージが目みたいになっててやっぱ外人のセンスだよな、とか、
24年前はHonky Tonk Womenて曲ででっかい風船のダッチワイフがでてきて誰が使えるんだと思った、とか、
東京ドームも古くなったもんだよ、とか、
24年前の思い出と今回の感想がごちゃごちゃになりながらもいろいろと話した。
こういうことを違う人相手に二、三回話したと思う。

Stonesは知ってても歌はよく知らない、歌は知らないけどStonesが凄いことは知っているからライヴには行く。結果、"You can't alway get what you want!"って、Mickが何度も煽ってるのに観客は応えなくて、それでもMickが煽ろうとするからCharlieが「ダダンッ(もういいよ!)」って打ち切っちゃう、っていうことになる。
自分にはそう聞こえたんだが気のせいかな。
それでも何が起こってるかわからない観客はただただワーワー言っている。
これが自分にとって今回のライヴの一番印象的なシーンだった。

Stonesってこういうバンドだっけ。違うよな。
でも、楽しみ方はひとそれぞれだからどうこう言えるものではない。
今はこういう楽しみ方なのだと、状況を受け入れなければならない。
歳をとるということは、こういう経験が増えるということだ。

場面は変わって、3月16日(日)の国立競技場。
前日もカラフルなファンでごった返していたその場所に息子と一緒に参戦してきた。
聖火台の上に立ち、5万5千人のファンの前で「笑顔を届けるという部分で天下を取りたい」と言い切ったリーダーが率いる5人組のアイドルグループのライヴ。
5色入り混じったサイリウムの海が、メンバーの自己紹介の時には紫、ピンク、黄色、緑、赤と順番に一色に染まる。
アーティストとファンが一体となってライヴ作り上げるということかけて、このグループの右に出るものはそういないだろう。
結成間もないころに掲げた「夢」が実現する瞬間に立ち会うため、そして思い出に残るライヴを作り上げるために、全国からファンが集まった。そこには一度は幻となったコンサートが開催されることとなり、ぜひこの目に焼き付けておきたいと、24年前に水道橋に集結した熱狂的なファンたちと同じ思いがあると感じたことは言うまでもない。


<セットリスト>
Start Me Up
You Got Me Rocking
It's Only Rock'N'Roll
Tumbling Dice
Angie
Doom and Gloom
Silver Train
Honky Tonk Women
Slipping Away
Happy
Midnight Rambler
Miss You
Paint it Black
Gimme Shelter
Jumpin' Jack Flash
Sympath for the Devil
Bronw Sugar
You can't always get what you want
Satisfaction
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辞めるタイミング

CODA.jpg


 Led Zeppelin II のCDを買ってずっと聴いていたら、なんだか他のも無性に聴きたくなって、改めて買い直したり、新規購入したりして、ずっとZeppelinを聴いていた。多分、近いうちにコンプリートすると思うが、今聴いているのは次の5枚のアルバムである。

- Led Zeppelin
- Led Zeppelin II
- Led Zeppelin IV
- In Through The Out Door
- CODA

 Presenceを聴いていない。
 いずれ、改めて書かねばなるまい。

 さて、バンドにはいろいろな危機が訪れる。AC/DCであればBon Scottの死、米ツアー中の死亡事故のことなど。しかし彼らは今でも続けている。Stonesも初期にBrian Jonesを失うという危機に見舞われたにも関わらず、彼らも現役である。
 しかし、ZeppelinはJohn Bonhamの死によって活動を停止し、解散してしまった。バンドにはそれぞれの考え方や事情があるのだから、続けるのも辞めるのも勝手だろう。しかし、Zeppelinが何故解散したのかというロックファンなら一度は考えることを、今更ながらここでやってみたいと思う。
 端的に言えば、John Bonhamの死と解散についてを考えるという行為は、即ち「CODA」を聴くことである。

 CODAは1980年にJohn Bonham (Bonzo) が亡くなった後の1982年に創られたアルバムで、レコード会社との契約を遂行するために作られたLed Zeppelinとしての最後のアルバムということであるが、要するにBonzoの追悼アルバムである。この年にはJimmy PageとRobert Plantがそれぞれアルバムを出しており、そうい意味でもこれはBonzoのアルバムである。John Paul Jonesはいいのか、という突っ込みもあるだろうが、はっきり言ってJohn Paul Jonesは前作のIn Through The Out Doorで力尽きているので、そこで満足しとけ、という話である。

 ざっとアルバムを紹介する。

1. We're gonna groove
 Bonzoのドラムから始まる曲名通りGroovyな曲である。このアルバムの性格を象徴する出だしである。

2. Poor Tom
 1曲目同様、続けざまにドラムから入る。しかしPoor Tomの場合、「タタン タン タン タ タン、タン、タン」の繰り返しだけである。しかしそれがそれが本当に心地よいというところがBonzoたる所以である。

3. I can't quit you, baby
 デビューアルバムであるLed Zeppelinにも収録されているOtis Rushのカバー曲である。デビューアルバムのそれと聴き比べるというのも野暮な作業であるが、これをやるとZeppelinの特徴の輪郭が見えてくる。
 しかしそれは、この曲が持つ普遍的な音楽性であり、Zeppelinの音楽性とは違うのかもしれない。それもも踏まえつつ敢えて言えば、Zeppelinはロック、ブルース、ジャズ、クラシックの要素を分解し、そして再融合させ、「愛」や「情熱」を表現するカルテットではなかったのか。
 もしその部分が「メロディアスな音楽性」という言葉に置き換えられ、Heavy Metalを特徴づける要素とするならば、確かにZeppelinはHeavy Metalの始祖なのかもしれない。しかし、この曲を聴くとZeppelinはもっと雑食的性格が強いことがわかる。したがって、HMの始祖といういい方も一部を表しているにすぎず、どのような言葉もZeppelinを表現することができないのである。

4. Walter's Walk
 4曲目のWalter's Walkは、実にベタな曲である。ベタなのにかっこいいのは、4人の感性が基本的に超一流のベタだからだと思うのだが、その中でもBonzoの超絶ベタなドラムのかっこよさは突き抜けている。
 Zeppelinの実質的な最終アルバムである前作のIn through the outdoorの場合、シンセサイザーを多用しているにも関わらず、そのことで逆に彼らのベタな感性が際立ち、Zeppelinの魅力のコアな部分が浮き彫りになっている。それとはまるで逆で、Walter's Walkはベタ全開の、開き直りの曲である。
 In through the out doorは、世間にZeppelinの「復活」を示したわけだが、もしかするとそのことでバンドとしてのコアが希薄になったのかもしれない。その反省のためか、CODAには、Walter's Walkのような、どちらかというと懐古的な曲が多い。
 ちなみにIn through the out doorを購入した理由は、Zeppelinをラジオで初めて聞いた時にWhole Lotta Loveと一緒に流れていたHot Dogを聴くためである。改めてそのラジオ番組の選曲センスに恐れ入るしかないのだが、グリグリ、グニャグニャと弾くJimmy Pageのギターがまさにベタベタで、このアルバムの中で最もZeppelinのかっこよさが表れた曲である。

 ------ レコードをとってA面からB面にする作業を想像する -----

5. Ozone Baby
 Zeppelinらしいと言えばらしいが、どちらかというと若干能天気な感じの、ポップな曲である。もちろん音は変えようはなく、ヘヴィなポップという感じになっている。これはこれでよいのだが、こんなのばっかりだったら、多分、Zeppelinにはそれほどカリスマ性はなかったかもしれない。


6. Darlene
 ダーリン(Darling)ではなく、Darleneなのでリーにアクセントがある。
 鉛の飛行船とはよく言ったものだ。

7. Bonzo's Montreux
 Bonzoが不世出のドラマーであることは、この曲を聴けばだれもが納得するだろう。そして何故、Bonzoの死によってZeppelinは活動を停止せざるを得なかったのか、それが「よくわからん」というヤツにはもう一度これを聴いてほしいと思う。ちなみに82年発売のオリジナル・レコードの中袋にはジョン・ボーナム・ドラム・オーケストラとクレジットされていたらしい。そのレコードを持っていたのだが、それには気づかなかった。
 邦題は「モントルーのボンゾ」であるが、Bonzo's Montreuxなんだから「ボンゾのモントルー」なんじゃないか?多分、A Scene of Bonzo's Montreux Daysの略なんだろうな、と勝手に思っている。

8.Wearing and tearing
 これを聴くとZeppelinはもういないのだ、という寂しさ・悲しさを覚える。Zeppelinのは雑食性が強いと言ったが、それにしてはシンプルな曲である。でも、やっぱりベタな曲である。いろいろなことをやってみたが、結局、こういうシンプルな曲をかっこよくすることができなくなってしまったという、Jimmy Pageのメッセージなのかもしれない。


 さて、バンドを続けるも続けないのも、それぞれの考え方や事情によるところが大きいのだが、Zeppelinの場合、Bonzoは他のメンバーにとっても、そしてファンにとってもNobody elseな存在だったのだろう。実際は補えるドラマーはどこかにいたのかもしれない。しかし、そんなことを考えることこそまさに野暮な話だ。

 Zeppelinにはまっていたのが高校生の頃であるが、世間の厳しさを知らない田舎者にとっては、そんなZeppelinが潔く見え、一層かっこよく思えた。囲碁の世界でも投了というルールがあり、圧倒的な差が付いているのに対局を続けることは礼に反するとされている。将棋でも負けるとわかっていて対局を続けると「棋譜を汚す」と言われる。Zeppelinにとって、John Bonhamを失ってもバンドを継続することは、それこそ「棋譜を汚す」行為で、メンバーの美学に合わなかったのかもしれない。
 しかし自分は、何を言われようが、這いつくばってでも続けることの方が重要とされる世界にいる。実際、それが今の自分の価値観にもなっている。こんなちっぽけな自分の価値観と、今なお世界中にファンを持つ偉大なバンドの価値観を比較することなどおこがましいし、実際、解散してしまったという歴史は変えようがないのだが、もう少しZeppelinがタフであったなら、と少しばかり残念に感ずる。

 「CODA」とは「楽曲や楽章の終結部」という意味であり「最終楽章」とは誤訳である。ほんの少しの違いかもしれないが、もうこれで終わるしかないという決断に至らしめた彼らの当時の考え方が、この誤訳に象徴されているように思うのである。
 


洋楽事始め

ledzeppelinledzeppelin_ii.jpg

 仕事の帰りに久しぶりにCDショップに立ち寄りったところ、ロックのコーナーに「定盤」というジャンルが出来ていました。名前は知っていても実際どんなアルバムを出していたのかよく知らないアーティストが沢山いるので、こういうまとめ方はとてもありがたいですね。それに、私は曲をシングルで聴くよりも、アーティストの考えや個性が現れやすい「アルバム」を聴く方が好きなので、アルバムとしてまとめてくれている方が嬉しい。更に「定盤」であって「名盤」でないというところが「このへんから始めてみてはどうですか?」という提案になっいて、押しつけがましくなくていいなと思いました。これが名盤だぁ!と押し付けてくるのもいいのですが、押し付けてくる人の人柄もわからないとどうしたものか判断できないところがあるので、そういう場合には「●●●が選んだ100の名盤」とかしてくれると嬉しいですね。

 その私が好まない方のシングルについてですが、今月のレコード・コレクターが1967年から1975年のシングル曲のベスト100を特集されています。その中で奥田秀朗さん(小説家)という方と大鷹俊一さん(音楽評論家)という方の対談が掲載されているのですが、1967年から1975年を「シングルからアルバム中心へと変わっていく時代」と表現されているのが印象的でした。というのも、私が音楽を好んで聞くようになったのが小学校5年か6年の頃で(1980年頃)、その時は洋楽の新曲というものはまずアルバムの発表が重要で、その中から売れそうな曲がシングルカットされるという感覚だったので、シングル中心の時代があったことがどこか新鮮に感じたわけです。今のように大量に新曲を配信し、ヒット曲や売れ線アーティストが生まれるのを待つという感じの、楽曲をビジネスモデル的なアプローチで販売するのではなく、余剰状態になった個人的感情をロックやポップを通じて発散することが可能であることが、ようやく発見されつつあった時代の中でのシングル曲というわけですから、それはもう個性的な楽曲が生まれていたのだろうと思うのです。そんな形でシングルが作られ発売されていた時代があったという、考えてみれば当たり前のことが何故か新鮮に感じたのです。今の若いアーティストたちも音楽にエネルギーをぶつけているのでしょうが、どうしてもイカ臭さがにじみ出てしまうような下品な感じがないところに、商業的な印象を受けてしまってじっくり聞く気になれないのですよね。そういうのはおかしいんでしょうかね。

 ともかく、その「定盤」の中で目についたのが「Led Zeppelin II」、レコード・コレクターのベスト100の4位に選ばれたのが「Whole Lotta Love」で「Led Zeppelin II」の一曲目に収録されている曲でした。もう何十年も様々な人によって使い古された言い方ですが「Whole Lotta Love」をラジオで初めて聞いたときは本当に衝撃的でした。しかも何度聞いても新鮮な気持ちが失われず、聴けば聴くほどかっこいい。それまでは兄貴のおさがりばかり聴いていた自分が、初めて自分自身で見つけたかっこいい曲でもあり、自分にとっての「かっこいい」のスタンダードになっています。それが小学校五、六年のころなので、愛の意味なんてわかっちゃいないのですが「胸いっぱいの愛を」という邦題がぴったりだということは、感覚的にわかっていたような気がします。今でもこれは素晴らしい訳だなと思います。そんなアルバムを何故かCDとしては持ってなかったので買うことにしました。

 そして久々に原曲で聴いたそのアルバムの一曲目。
なんでかすれ声が始めに入ってんの?
ドラムってこんなに叩いて壊れないの?
このグニャグニャした音が愛なの?

 こういう曲を思春期に聴き、いろいろと不可解な感性を受け入れてスタンダードにしてしまったことが、ある意味不幸を招いたのかもしれません。というのも、何やら新曲が話題になっているという噂を耳にすると、どうしてもこの曲を聴いたときのゾクゾク感を期待してしまい、これを越えるような曲の出現を求めてしまうのです。しかし、実はそういう曲はシングルカットされていないことがあって、例えば Stones の Beggars Banquetに収録されている Jiggsaw Puzzle なんて、アルバム買わなきゃ聴けないわけです。そういう曲を発見することができるのがアルバムを買う醍醐味ですし、何故その曲がそのアルバムの●●曲目に収録されているのかということが、一曲目から順番に聴いてゆくとなるほどしっくりくるというのがいいわけですが、それにこだわると、今のように動画で好きな曲を漁るという時代にはついていけなくなりますし、実際、ついていけてないわけです。

 それでももう少し軽い感じで「あ、いいねこれ。」という楽しみ方もできるようになったのですが、それはかなり大人になってからの話。漸く、ももクロ限定とはいえアイドルソングも聴けるぐらいに許容範囲は広がったわけですが、もう少し若い時に聴けるようになってたら、もっと幅が広がってただろうと思います。ジミーさん、恨みますよ・・・って誰に向かって言ってるんだヲイ。

それにしても奥田さん

1位 I am the Walrus
2位 Strawberry Fields Forever
3位 Sympathy for the Devil
4位 Whole Lotta Love

 これ、僕がカラオケで歌う順番とほぼ同じじゃないですかw


底抜けの明るさとは

Thewiggles.jpg


夏も近づく八十八夜。ゴールデンウィークは藤枝の実家に一家で遊びに行き、お茶刈を手伝ってきました。
八王子の自宅から藤枝まで約4時間。当然音楽をかけながらのドライブとなりましたが、最近ABBAが気に入ったという10歳の息子のリクエストにより、半分以上の道のりをABBAで過ごすことになりました。
特にSuper Trooperが好きとのことで、CD担当権限付助手席に陣取り、両親が悲鳴を上げるまでリピートボタンを押す息子を見て、思えば自分がChiquititaを知ったのが小学3年生の頃だったことを思い出しました。
しばらくすると兄が"Voulez Vouz"を買ってきたので、兄のLPをこっそり借りて聴いていたこと。
やっぱり親子だなぁと思いつつ、世代にわたって愛されるABBAの偉大さを改めて感じました。

そんな息子が3歳の時にネットで見つけてきたのが上の写真の "The Wiggles" 。知る人ぞ知るオーストラリアの子供向けバンドです。私も息子が見つけてくるまでは知りませんでしたが「なんか冴えないおっさんだなぁ」などと舐めてはいけない。調べるともの凄いバンドであることがわかりました。
とりあえず彼らに対するメディアの評価のいくつかを紹介しておきます。


New York Times -----“world’s number one pre-school group”.
(ニューヨーク・タイムズ「世界一の幼児向けバンド」)

NBC’s TODAY ----“It’s like The Beatles have come to town for these kids. "
(NBCトゥデイ「子供たちにとってビートルズが街にやってきたようなものだ」)

Washington Post ----“The Australian group has re-written the book about how children can be entertained.”
(ワシントンポスト「オーストラリアのグループが幼児エンタテイメントの教科書を書き変えた」)


世界100カ国を超える国々でCD、DVDが発売され、21年にわたり全世界で6,000回以上の講演を行っってきた彼らは、たくさんの素晴らしい楽曲を世に送り出しています。
世界一の幼児向けバンドらしく、歌詞はきわめて簡単ですが、大人でも十分に楽しめるノリのよい仕上がりになっています。

Toot, Toot, Chugga Chugga Big Red Car(動画)

A Big Red Car(動画)

Food(曲のみ)


写真はバンドの初期のメンバーで、青が食いしん坊のAnthony、赤がギターのMurray。紫は居眠りJeffで、番組の中でWake up Jeff!という名物コーナーを担当しています。居眠りしてしまうJeffを子供達が大きな声で叫んで呼び覚ますという単純な企画ですが、子供たちは大喜びです。そしてWigglesの代名詞とも言える黄色のGreg。歌と手品が得意というキャラが設定がされていますが、実際、Gregの甘いマスクとやさしい歌声は親たちを魅了し、Wigglesの人気を不動のものにしました。彼は起立失調症のため2006年にバンドを脱退しましたが、その際、多くのファンが彼を惜しむ映像を動画サイトに掲載しました。
現在は創設者である青のAnthonyしか残っていませんが、バンドとしての活動は続いています。

さて、見た目もそれほど冴えないおっさんバンドが何故そんなに人気なのか。

まず第一に、彼らは幼児教育の専門家であるということ。
彼らはシドニーのMacquarie Universityで幼児教育を専攻した仲間で結成されたバンドなのです(約500人の学生の中で男子学生は彼らを含めて6人しかいなかったとのこと)。
バンド活動を始めた初期のころは、Anthony、Murray、Gregは既に教師の道を歩み始めており、休みのシーズンにツアーを行っていたそうです。

第二に、「子供に良質の音楽を届けること」を明確にコンセプトとして掲げていること。彼らの音楽のベースは60年代のポップスです。Anthomyは元々The Cockroaches(ゴキブリーズ)というバンドをやっていたのですが(Greg はそのバンドのスタッフ)、メンバーの娘でAnthonyの姪にあたる女の子が突然死するという悲しい出来事をきっかけに、Cockroachesは解散しました。Cockroaches時代に作詞・作曲したものを子供向けに書き直し、彼らが通う大学で子供たちに試したところ、大人が楽しめる音楽は子供も楽しめることがわかりました。いい音楽は年齢に関係なく受け入れられる-それが彼らの信条です。

第三にオーストラリアの風土。私はオーストラリアに行ったことはありませんが、エアーズロック、赤褐色の土と砂漠、アボリジニとでっかい芋虫、ベジマイト、そんな風景に彼らの楽曲がぴったりとハマります。幼児教育に関する専門的な知識、プロとして通用する音楽スキル、そしてオーストラリアの風土が融合し、封じ切れない明るさをもつオージーロックが生まれるのでしょう。伊藤正則さんが AC/DC の High Voltage について
「理屈抜きで〝ハイ・ヴォルテージ・ロックンロール!”と叫びまくっているのだから、世界中、どんなところに行ってもシンガロングになるに決まっている」
と評しました。私の目には、世界中の子供たちが
「Toot Toot Chugga Chugga Big Red Car!! 」
と叫んでいる光景が浮かんできます。

そんな彼らですが、日本ではさほど知られていません。
一時、ケーブルテレビで彼らの番組をやっていた時がありましたが、どうしても和訳せざるを得えないことから、彼らの楽しげな会話の調子が伝わらず、残念ながら魅力が半減しまいました。土曜日だけはすべて英語で放送していましたが、どこか英語学習の番組のようになってしまって、やはり彼らの魅力を十分に伝えることはできませんでした。

八王子に戻る車の中で、AC/DC, Sabbath、Stonesなどを聴きながら、ふと息子もやがてStonesやSabbathを聴くのかな、AC/DCの良さをわかってくれるのかな、と考えました。自宅に着いてオーストラリアから取り寄せたWigglesのDVDを息子に見せ、
「小さい時にこれ聞いてたんだよ。覚えてる?」と尋ねましたが、息子は、
「え?覚えてない。」とのこと。
一抹の寂しさを覚えましたが、今の彼は自分で気に入ってABBAを聴いている。何のフィルターを通さず、流れてくる音楽を自分の感性にしたがって取捨選択している。こうして日々の出来事が思い出になるのかと気付き、
「そうだよね。」
と答えてしまう私でした。


Thunder Underground

Ozzmosis.jpg

酒とドラッグに溺れながらもさまざまな名曲とRandy Rhoadsという伝説をロック界に残して引退したOzzy Osbourneは、よき夫、よき父、そして人間Ozzyとして生きるために、肉体改造に努めた結果、意に反して再びロックに対する凄まじいエネルギーが蓄積され、アルバム「Ozzmosis」とともに復活をとげた。ちなみに英語の「Osmosis」は「じわじわと浸透する」という意味を持つ。何かがOzzyの体にじわじわと浸み込み、ある時はOzzyの肉体をむしばみ、あるときは復活させたということなのか。

“Thunder Underground”は「Ozzmosis」に収録されている曲の一つ。
You won't think you're so clever when you hear thunder underground. All right now.と歌う。Thunder Undergroundとは、おそらく、Ozzyが引退している間に聞いた自らの叫びであり、ロックに対するぶつけどころのないエネルギーが、爆発寸前の状態でOzzyのブレーンに訴えたのだろうと思う。
「お前はこのままでも死なないと思っているだろうが、やるべきことをやりつづけなければ、忘れ去られてしまうぞ。」と。

その真意はともかく、なぜこのことを考え始めたのかというと、来月開催されるOzzfestにももいろクローバーZというアイドルグループが参加することで、少々の物議を醸しているからだ。ももいろクローバーZは、ももクロとか、ももクロちゃんとか呼ばれいて、とてもかわいらしい5人組のアイドルなのだが、そのアイドルが何故Ozzfestなのか。

実はももクロちゃんたち、「黒い週末」という日本のロック史に名を刻まねば話にならぬ、Ozzyに対するとんでもないオマージュソングを歌っていて、このことがOzzfestの主催者の目に留まったのだ。この曲を聞いたときは、ももクロちゃんたちのかわいらしい歌声と曲のすごさのギャップが大きすぎて、一瞬にして頭が錯乱状態に陥り、再び我に返った後で何度も繰り返し聴いて、ようやく起こった事態を受け入れることができたという具合だった。しかし、Stones の Jiggsaw Puzzle、
Zeppelin の Whole lotta love、そして AC/DC の Live盤 High Voltage が数日間頭の中でリフレインされた時のように、「黒い週末」がしばらく耳に残って離れず、“あぁこれは名曲だ”と幸運にも確信することができた。

主催者の目には彼女たちが持つ「集客力」も留まった。数万人規模のライブなら、数分でチケットが売り切れ状態になるほどの強者グループである。
結果、出演が発表された日から数日の間で、彼女たちが出演する日の指定席チケットが完売してしまった。彼女たちのライブチケットは箱の大きさによって3,500円から7,500円ぐらいで手に入れることができるが、Ozzfestは指定席の1日券が16,500円、2日券で30,000円もする(立見席はもう少し安い)。しかも出演が発表されたのは彼女達がライブを行っているステージの上でのことであり、チケットを申し込むにしてもすぐにサイト情報を集めるわけにいかないことなど考えれば、それまで残っていたチケットが数日で完売というのはかなり早いペースのはけ方である。改めて、彼女たちの集客力が半端ないことが証明された。

これは主催側にしてみれば狙い通りだが、出演する当の本人たちは1人を除いてOzzyのこと、
Black Sabbathのことなど知らないという状態。そんなアイドルグループがロックの聖典に出場するのはファンにしてみればまるで想定外。「まさかアイドルグループが・・」と、当然のように辛辣な批判・怒り・罵りの声がロックファンやメタルファンの間から上がった。一方でそんなロックファン、メタルファンたちを見てモノノフ達は本場のOzzfestにおけるIron Maidenさながら「ペットボトルとか卵とかぶつけられやしないか?」と心配したり、「アウェー上等、俺たちが守ってやる!」と自らを奮い立たせる者たちなど、戦々恐々の状態になった。ちなみにそのような状態になって、PAの電源を落とされたとしても、彼女たちは何もかわることなく平然と歌い続けること間違いない。東京タワー前で行った野外ライブのときのように。

賛否両論が渦巻く中、私が気にして病まないのはメタルファン達が発する罵詈雑言である。果たしてこれらは、フェスの運営、ももクロやモノノフたちへの憎しみなのだろうか。

メタルファンと言えば、ロックファン達からの「単純でどれ聞いても同じ」という蔑視にさらされ、モテてるロックバンドに対するアンチテーゼのように敢えてモテるはずのない恰好でドコドコとツーバスをたたきまくり、まともに喧嘩の相手をしてくれるのはパンクロッカーだけという閉鎖的で抑圧された世界の住人である。しかしそんな彼らの中には、恰好とは真逆で、純粋で傷つきやすく、平和主義者も多いというのも事実である。そんな愛すべきメタラー達の「なめんな!」の声が、悲痛の叫びに聞こえ、とても、とても、悲しくなるのである。
Ozzyの名を借りて行うフェスでさえも「Ozzyじゃなくてももクロだよ」という現実に屈しなければならないとは。

私が好きなAC/DCも日本国内での評価は低い。「外国じゃガキにしか人気のないバンドだって聞いたよ。」とか、「リフだけじゃん。」「なに、このカッコ悪いタテノリ」など。数年前に埼玉で行ったライブもさほど世間の話題にのぼらず、全世界での評価を考えると、日本人であることが恥ずかしくさえも感ずる。これまでAC/DCで盛り上がった話ができる相手にあったことがないことを考えると、おそらく口に出すことも憚られるほどなのだろう。
そんな私が、もしAC/DCのチケットが売れずに、前座にももクロちゃんたちを呼んで売り切れになったということになればどう感じるだろうか。ももクロちゃんたちが世界一のバンドに会うという嬉しい出来事であると同時に、やはり世界のファン対してどんな顔も向けられない、耐えがたく、受け入れがたい出来事にもなるだろう。

こんなことで悲しくなったり、ありもしないことを心配しなければならない根本的な原因は、日本人の音楽に対する趣味趣向が世界と全く異なることにある。前回記事にしたBSプレミアムでの順位を見ても「なんか、違うな。」と感じた年季の入ったロックファンは少なくないはずである。それでもロックファンならある程度世間にも受け入れられており、"Stones"が好きと言えば「いい趣味してるね」とか、"Oasisが好き"といえば「いい歌うたうよね。」とか、そんな反応が返ってくる。しかし迂闊に"Slipknotが好き"と言いえば「だれだそれ?」という反応を示され、Youtubeで知った相手が「ゲッ」っと思ったあとは、相手から若干の距離をおかれことになったとしても、メタラーにとっては仕方のないことである。

その昔、日本が「黄金の国」と言われた時のように、日本のメタラーたちは海外に「重金属の国」があると信じて羨望の眼差しを向けている。その重金属の国から大御所がやってきて、我々もようやく救われる日が来たかと思った矢先、出迎えるのは自分達ではなく、かつてGary Mooreの名を騙ったという罪で離れに追いやったアイドル界に育った黒い週末ヒロイン達であることが知らされたのである。先人が犯した罪の業の深さを、今のメタラー達が思い知らされなければならない正当な理由がどこにあるのだろうか。

しかし、そんなももクロちゃんたちが歌う「黒い週末」であるが、「サラバ、愛しき悲しみたちよ」のカップリング曲である。今回、オリコンチャートでウィークリー1位を獲得した「5th Dimension」にも、同週2位を獲得した「バトルアンドロマンス」にも収録されていない。
黒い週末の「魂を揺さぶって 閉め切ったドアを引き裂いて真剣な声が聞こえた」という歌詞。“真剣な声”の持ち主は、実はOzzyに Thunder Underground を聞かせたロック界の使者と同一人物ではないだろうか。
今、メタラー達がやり場のない怒りをぶつける相手も、実は同じ声を発しているのかもしれないという悲しみに満ちた皮肉を、一体どのように受け止め、消化すればよいのだろうか。
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LowVoltage

Author:LowVoltage
それはまだレコードが全盛だったころ、The Best of ****的なタイトルのアルバムを見つけて、「誰だよそれ、全然ベストじゃねぇ。」と思ったことのある人、結構いると思います。逆に言えばそれってアリなんだ、っていうことなので、私もそんなタイトルにあやかって、一日の出来事の中のザ・ベスト・オブ・ザ・ベスツであるところのグレイテスト出来事を皆さんに押し付けたいと思います。
音楽の話ばかりではありません。というより、音楽以外の話が多いと思います。
どうぞよろしく。

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